追想
- minus888

- 2017年11月6日
- 読了時間: 6分
子供の頃には随分と無邪気に何でもかんでも読んだ。文意や物語性を理解できていたのか、ただ文字や言葉を追うことができれば良かったのか、自分でもわからない。読むものは辞書でも良かったし、難解な小説でも良かった。長い間、私の世界は紙の上にしか存在しなくて、現実の時間の流れというものを意識したことがなかった。自分が何者であり、窓の外の景色が何色をしていて、季節はいつだというようなことを、考えるという発想がなかった。だから、何歳の時分にどんな本を開いたのか、私はひとつも覚えていない。読んだことがあるか、読まなかったか、それだけしかない。ただ、糸で綴じられた本を読むことができるようになる前には白くて角の丸いカードがあって、そこに十七文字の句と作者の名前だけが黒い明朝体で印字されていたのを覚えている。また、裏を返すとその十七文字で表された景色が美しい彩色で描かれていた。私は裏面にはあまり興味がなかったが、しばしばそのカードを並べて、くるくるとひっくり返し、母の乳を呑むように一字一句を呑み込んでいた。母や祖母がやってきて、どのカードが好きかと尋ねると、私は必ず同じカードを差し出した。赤や黄や緑の景色が燃える、いっとう美しい言葉がそこにあった。そうすると彼女らは、「芭蕉が好きだってさ」「渋い子だよ」と笑うのだった。
そのうちに私はカードではなく本を読むようになった。重たくて持てないような本は母が朗読してくれた。谷川俊太郎の訳したマザー・グースから始まって、不思議の国のアリス、プチ・ニコラ、外国の児童文学が多かった。小公女、小公子、赤毛のアン、大草原の小さな家。小さな魔法の箒。チョコレート工場の秘密。母の朗読は驚くべきことに私が五年生になるまで続いた。最後に読んで貰ったのが、ソフィーの世界であったことまで覚えている。
母が私に児童文学を惜しみなく与えてくれるので、私は日中はそうではない他の本をよく読んだ。小学校に入る前には国語辞典が気に入りだったこともあるし、児童向けの青い鳥文庫というのがあって、それで子供向けの小説をよく読んだ。とにかく何でもかんでも読みたがるので、低学年向けから読み始めて、三年生向けも読める、四年生向けも難しくないといって、気づいたら六年生向けの随分と字の細かいものにまで食指を伸ばした。それから小学校に上がったので、教室の本棚に入っている本がどれもこれも絵本のようで、文字が大きくて平仮名ばかりであることに驚いた。驚いたが、莫迦莫迦しいと思うような感性はなく、むしろ自分が読み飛ばしてきたような見覚えのない本が数え切れないほどにあったので、端から順に全部読んだ。そういう時には、自慢げに椅子に座ってちょっと難しそうな文庫本を読んでいるクラスメイトなんかは目に入らなかった。
児童文庫も絵本も目につくだけ制覇して、次に私が手を伸ばしたのは一般向けの文学だった。ところがその段階にいくと、途端に物語が難解になる。どれを読んで良いのかわからなくなった私は母に頼んで、何とか自分の頭で理解できるものを買って欲しいと強請った。しかしそうはいっても、とにかく乱読の子供である。読書量では同世代に比べて数年先走っていた私に、母はごく普通の小説を渡した。印象的だったのは、五年生の時に買って貰った指輪物語である。詩歌混じりの英国古典は、それでも幻想的な冒険譚だったので何の苦労もなしにするする読んだ。私は英国詩を面白がるようになり、自分の目でアリスや小公女を読み直した。それから私の部屋の本棚には、様々な本が積み上げられるようになった。どれも近所の古本屋で、百円で買ってきたようなものだった。安く買って読み終わったものが溜まってくると、母はそれをまた同じ古本屋に持って行った。推理ものもあったし、ミステリもあった。クリスマスにホームズの本を頼んだこともある。かと思うと、唐突に武者小路実篤とかいうどこまでが苗字でどこからが名前なのかもわからないような近代文学の作家を持ってきて、こういうのも読んでおきなさい、と言う。友情を読むにあたって、内容の理解が及んでいたかどうかは定かではない、後でもう一度読んだ時に内容をさっぱり忘れていたので、おそらく意味などひとつもわからなかったのだと思うが、私にとって活字はやはり母の乳か水みたいなものだったので、ともかく読んだ。案外読めるとなると次に私の元にやってきたのは島崎藤村の破戒と、松本清張の点と線だった。いずれも難しくて、さっぱり理解しなかった。正統派の文学ではあるが、基準も何もあったものではない、全て買い与えられた理由は古書店で百円だった、という理由であるような乱暴さだった。それでも島崎藤村は何でかとても気に入って、繰り返し、詩を読むように色々な作品を読んだ。高校に上がってからだが、文学史の試験問題に、「自然主義に数えられる作家はどれか」次いで「その作家の書いた小説をひとつ選べ」という選択問題があり、これは島崎藤村で作品名は夜明け前で間違いがないな、と印をつけて提出したところ、学年で両方とも正解を出したのが私ともう一人だけだった、というようなことがあった。その後、田山花袋なども贔屓するようになったので、あの母の乱暴な選書も随分と役に立ったのだと思う。
最近、その頃のことを思い出すと、とてつもなく無邪気であったと思うのである。自分がいつから、あの作家は好きではないとか、読みづらいとか言うようになったのか、自分でもよく覚えていない。相変わらず島崎藤村は好きであるし、マザー・グースは本棚に大切に保管してある。だけれども、あれもこれも、とにかく内容がわかってもわからなくてもいいから活字を恋うる、といような読み方を、最近すっかりやらなくなった。そうすると出会いが少なくなって、この世に私を迎えてくれる文学はどこへいったのだと、妙にもの寂しい気持ちになる。
また自分でものを書くようになると、どれもこれも敵対心とか嫉妬心を掻き立てるところがある。何を見ても、畜生、畜生と思うのだ。つまらないものが世にでて読まれているということを、認めるのが癪だという気になってくる。そうして、お前は何様だ、卑小な趣味人め、インディーズのバンドマンが、往年のタレントを見て唾を吐く不格好さ! お前の文章を育てたのは誰だ、母の乳に例えたものは何だ、と自己嫌悪に陥る。
なので最近、幼児に回帰しよう、と思うようになった。ひとつひとつをあたらしい世界だと思って栄養を取るべきだ。私の手元に活字のカードはもう一枚だって残っていないのだが。
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